AI×教育のリアル
「AIが大学を壊している」という話に、大学教員として答える
Hacker Newsで「AI Is Destroying the University and Learning Itself」という記事が話題になっていました。AIが大学教育を壊している、学生は存在しない文献を引用し、大学は「最適化」の名のもとに学びを犠牲にしている。コメント欄は大荒れ。大学で英語を教えている立場から、正直に書きます。
まず事実を認める
AIで課題を書いている学生はいます。レポートだけでなく、感想文、要約、プレゼン資料。見ればわかるものもあるし、わからないものもある。正直、全部を見分けるのは無理です。
ただ、これは今に始まった話ではありません。コピペレポートは10年前からあった。友達のレポートを丸写しする学生もいた。AIがそれを「効率化」しただけ。
問題の本質は、AIの出現ではなく、「何のために大学に来ているのか」という問いに多くの学生が答えを持っていないことです。答えがないから、課題は「こなすもの」になり、最も楽な方法を選ぶ。AIはその「最も楽な方法」の精度を劇的に上げた。
大学側の責任を先に書く
評価の仕組みが時代に合っていない
家で書いて提出するレポートで学力を測ろうとしている時点で、AI時代には機能しません。これは学生のせいではなく、評価設計の問題。
AIについて教えていない
多くの大学が「AI使用禁止」か「AI使用自由」のどちらかに振れていて、「AIをどう使うべきか」を教えている教員はまだ少数。道具の使い方を教えずに、使うなとか自由に使えとか言っている。
カリキュラムの改革が遅い
大学が「学位工場」(degree factory)化している問題は以前からあった。AIはそれを可視化しただけ。
「学生を信頼しろ」は半分正しく、半分甘い
HNコメント欄で最も支持されていた意見の一つが「大学生は大人だ。自分でAIとの付き合い方を決められるはず」というもの。
半分正しい。大学生に対して過保護になる必要はない。ただ、現実を見ると、18歳から22歳の人間が「この場面ではAIを使うべきで、この場面では使うべきでない」を適切に判断できるかというと、難しい場面の方が多い。
社会人でも、AIの出力をそのまま使って問題を起こすケースが後を絶たない。「大人だから判断できる」は、願望であって事実ではない。だから教える側が必要。「禁止する」のではなく、「使い方を教える」。その線引きを一緒に考えること自体が教育です。
本当に心配していること
「AIで課題を提出する学生がいる」こと自体は、正直そこまで心配していません。課題の形式を変えればいい。
本当に心配しているのは、考える習慣が形成されないまま社会に出る人が増えることです。
大学は(建前上は)「考える力」を鍛える場所です。不完全な情報をもとに仮説を立て、検証し、修正する。AIに課題をやらせることは、この訓練をスキップすることを意味します。表面的には同じ結果に見えるけど、プロセスが全く違う。その差は、卒業後に効いてきます。
自分の授業でやっていること
1. 授業内の生成活動を増やした
宿題でレポートを書かせるのではなく、授業時間内に短い文章を書かせる。1分間ライティング、ペアでの口頭発表、その場でのシャドーイング。AIを介在させる余地がない形式。
2. AIの出力を批評する課題
AIに英作文を書かせて、それを批評する。「この文のどこが不自然か」「なぜAIはこういう表現を選んだと思うか」。AIを使うこと自体を教材に。
3. 発音評価の自動化で対面確保
AIで自動化できる部分(発音スコアリング)はAIに任せ、空いた時間を個別フィードバックや対面指導に。AIは裏方、教員は対面。
4. AI使用ルールを明示
曖昧にしない。この課題はAI使用OK、この課題は手書き・対面のみ。ルールを決めること自体が教員の仕事。
「AIが大学を壊す」のではなく
AIが壊しているのは、「課題を出して、提出させて、採点する」という従来の教育モデルです。そのモデルが機能しなくなっているのは事実。
でも、大学教育の本質が「考える力を鍛えること」だとすれば、AIはその本質を壊してはいない。壊れているのは形式であって、中身ではない。形式を変えればいい。対面重視、プロセス評価、口頭試問、授業内の生成活動。手間はかかるけど、方法はある。
「AIが大学を壊している」。それは言い過ぎです。壊れかけていた大学の問題を、AIが表面化させただけ。直すなら今。AIのせいにして逃げている場合ではありません。