読みたい人だけへ:英語IIを正直に見た話
このページは、英語IIを受けていて「あれ、これ家でもできるじゃん」「別に意味なくない?」と感じた人、あるいは「先生はこう言うけど、自分はちょっと違う考え方を持っている」と思っている人に向けて書いています。
そう感じる人が一定数いるのは、志柿もずっと知っています。むしろ、よく見ている証拠です。このページは少し踏み込んで書きます。読むと志柿のことが嫌いになるかもしれません。それでも構わないので書きます。
1. 「家でもできるじゃん」は、たぶん正しい
英語IIの課題の多くは、動画を見る、テキストを読む、穴埋めクイズに答える、という形式が中心です。自宅のPC・スマホで物理的に完結できる作業です。だから「わざわざ大学の枠で進める意味ってどこ?」と疑問を持つのは、怠けでも不真面目でもなく、状況を冷静に見ている視点です。
志柿自身、この形式が語学学習として「一番効率のいい形」だとは思っていません。第二言語習得(SLA)の研究分野では、受動的に情報を処理するだけでは習得効果が限定的であり、相互作用・産出・フィードバックを含む学習のほうが効果が高い、という結果が何十年も前から繰り返し報告されています。興味がある人は “task-based language teaching” や “interaction hypothesis” で調べてみてください。自分の頭で判断してもらうのが一番いいと思っています。
2. 教員としての違和感を、正直に
志柿は、今の英語IIというカリキュラムのかたちに、教員として違和感があります。言い方を選ばずに書けば、古いです。10年以上アップデートされていない部分があり、生成AIが一般に普及した2020年代半ばの今、この形式を維持し続けることに積極的な意味を見出すのは、正直しんどいです。
学生が「家でできる」と感じるのは当然で、実際に家でできるからです。自動採点のクイズに答える作業を大学の枠でやる意味が、学生目線でも教員目線でも、だんだん薄くなっています。
「英語できるぜー」と胸を張る教員ほど、現状が見えていない
これは英語教育業界全体に言えることで、志柿の個人的な印象も混じります。「私は英語ができる」と自信満々の教員ほど、AIで英語との距離が激変した今の世界をちゃんと見れていないケースが多い、と感じます。過去の成功体験(受験英語・留学・TOEICスコア)を基準にして、それをそのまま学生に適用しようとする。学生が直面しているのはもう違う世界なのに、です。
志柿は、むしろ英語が嫌いになる瞬間が時々あります。それは、英語という言語そのものが嫌いなのではなく、「英語を教える」ことにまつわる制度・形式・権威性みたいなものに疲れるからです。学生に古い形式を押し付けるために自分の時間を使うのは、正直つらい。
3. でも、先生個人では何も動かない
では志柿は大学内でこのカリキュラムを変えられるのか、というと、変えられません。
大学という場所は、教員個人が「これはおかしい」と言っても、構造がすぐに動くようには作られていません。担当者が分かれ、決定権が分散し、「担当駒数が増えるから」「前例がないから」「他の教員に合わせないと」みたいな理由で、問題提起は静かに黙殺されます。これは志柿個人の愚痴ではなく、多くの大学で観察される、よくある現象です。大人の事情というやつです。
孤立は覚悟している
こういうことをサイトで書く時点で、組織の中では孤立する方向に進みます。それは分かっていて書いています。誰かが助けに入ってくれることも、横から「それは一理ある」と支援が集まることも、たぶんありません。協力もないでしょう。大学という場所はそういうふうに回っているので、予想はつきます。
もう腹を括るしかない、というところに来ています。嫌われる方向に進むのも、それで学生のためになるなら構わないと思っています。誠実にやろうとすると孤立する構造があるなら、孤立する側を選びます。
本音を言えば、本当は仲間を増やしたいところです。同じ違和感を言葉にしてくれる教員、「それ分かる」と頷いてくれる同僚、一緒に別のやり方を試したい人。そういう人が増えれば変わる速度は上がる。ただ、それは願望であって、当てにはしていません。当てにせずに、自分がやれることをやる、というのが今の姿勢です。
もしこのページを読んでいる学生で、将来教壇に立つ可能性がある人、あるいは大学以外の場所で学びを設計する側に回る可能性がある人がいたら、覚えておいてほしいです。違和感を持ったまま、誠実に動く人が増えるほど、全体は少しずつ変わります。 今の志柿は1人ですが、5年後10年後に2人3人と増えていれば、それは確実に進歩です。
「それなら辞めればいいじゃん」と思うかもしれません。それも1つの選択肢で、いつかそうなるかもしれません。ただ、今この瞬間に教室で目の前にいる学生に対して、志柿がやれる範囲でやろう、というのが現時点のスタンスです。
4. 所属している組織について、正直な話
これはカリキュラムの話から少し外れますが、書いておきます。志柿が所属している大学は、学問の場としてのあり方において、正直違和感を覚える場面が他にもあります。
例えば。刑事事件で逮捕者が出て、のちに不起訴になった案件があったとします。すると、大学の公式サイトから関連情報が静かに消える、という運用が起きます。「なかったこと」にする処理です。
例えば。教員業務を実質的に担えなくなった人が、「研究以外はできない」という診断書を出して、授業や運営業務からは外れつつ給与は維持される、という構造があります。
例えば。博士号に不正があって、しかるべき手続きを経て学位が取り消された研究者が、何年も給与を受け取り続けたまま所属し続けている、というケースもあります。
これらは個別の事案としては様々な事情があるのだろうと思います。ただ、構造として見たとき、学問の場としての誠実さに疑問を感じることはあります。学生にカリキュラムや授業の意味を説こうとするとき、その背景にあるこういう構造を知っていると、声に力が入りづらくなる瞬間があります。
それでも、意味のあることをしたい
だからこそ、無意味に感じる形式を増やすより、意味のあることに時間を使いたいと思っています。このサイトはその1つです。英語との付き合い方について自分が持っている考えを、必修科目の枠の外で、届きたい人に届く形で置いておく。それくらいはやれます。
5. 別の考え方を持っている人へ
ここまで読んで、「それでも自分は今の英語IIの形式で十分だ」「志柿の言っていることには同意できない」「そもそもお前は甘えている」と思う人がいても、全く構いません。
学習方法は人によって合う合わないがあるし、制度に対する感じ方も人それぞれです。志柿の見方が全員にフィットするとは思っていません。合わない部分は無視してください。
6. 違和感を持ったまま進めて大丈夫
「このやり方、本当に力がつくのかな」と疑いながら課題を進めても、単位には影響しません。むしろ、疑いながら進める学生のほうが、その後に自分で学習を組み立てる力を育てやすい、というのが志柿の実感です。
違和感を「不真面目」だと思い込む必要はありません。違和感は、自分が何を求めているかを知るためのセンサーです。そのセンサーを信じて、必修の外側で自分の英語学習を設計してください。そこに志柿はサポートします。
関連ページ:
→ 学習のコツと授業の使い方(授業の位置付け・コーチとジムの話)
→ 学び方のマインド(語学はスポーツ、知識と技能の違い)
→ AI プロンプト集(必修外の学習を自分で回すためのツール)
→ 問い合わせフォーム(学習の方向性に迷ったら投げてください)